LOGIN 新たな知らせを持ってきたのは、やはり
「新たな手がかりが見つかったよ」
御影家の居間へ通されるなり、挨拶もそこそこにそう告げた彼の顔を見て、麗香は思わず膝の上で指を組んだ。
麗香の隣では、「
清雅は卓上へ一冊の手帳を置いた。
「だから、人を探した」
「人を?」「麗香さんのお母上が、桐生家へ入る前のことを知っている人だよ」麗香の呼吸が止まった。
これまで調べてきたのは、すべて記録だった。 けれど、どれだけ探しても、桐生家へ嫁ぐ以前の母の姿は霧の向こうに旅立ちの朝、帝都は薄い朝靄に包まれていた。 初夏とはいえ、日の昇りきらないうちの空気にはまだ涼しさが残っている。 御影家の玄関先には、すでに自動車が待っていた。 大きな荷物は昨夜のうちにまとめられ、先に使用人の手で積み込まれている。「本当に、私も行ってはいけませんの?」 見送りに出てきた小夜が、いかにも残念そうな顔をした。「女学校があるだろう」「一日や二日くらい」「駄目だ」 朔が即座に切り捨てる。 麗香は思わず笑ってしまった。「小夜さん。遊びに参るわけではございませんから」「分かっておりますけれど……」 小夜は唇を尖らせた。 それから、ふと麗香の耳元へ顔を寄せる。「でも、麗香姉様」「はい?」「兄様とお二人でお泊まりになるのは、初めてでしょう?」「――っ」 麗香の肩が跳ねた。「き、清雅様もご一緒です」「汽車では、でしょう?」 小夜がにっこり笑う。「宿では、お二人はご夫婦なのですものね」「小夜さん!」「何を話している」 少し離れたところから、朔の声が飛んできた。「何でもございませんわ」「何でもございません!」 声が重なった。 朔が怪訝そうに眉を寄せる。 小夜だけが、いかにも楽しそうだった。◇ 帝都の停車場は、朝早くから人で溢れていた。 煤の匂い。 蒸気の白い煙。 荷物を運ぶ赤帽の声に、発車を告げる鐘。 高い天井の下をいくつもの音が反響し、普段の華族社会とはまるで違う活気に満ちている。「麗香さん、こちらだよ」 先に到着していた清雅が手を上げた。「おはようございます、清雅様」「おはよう。朝から悪いね」「
新たな知らせを持ってきたのは、やはり清雅だった。「新たな手がかりが見つかったよ」 御影家の居間へ通されるなり、挨拶もそこそこにそう告げた彼の顔を見て、麗香は思わず膝の上で指を組んだ。 麗香の隣では、朔も黙って清雅を見ている。 桜の季節は過ぎ、帝都には初夏が訪れていた。開け放たれた窓から吹き込む風が、庭の青葉を揺らし、瑞々しい緑の香りを部屋の中まで運んでくる。「榊原翁の話を聞いてから、宮内省の記録を直接追うのは一度やめたんだ。あそこを下手に掘れば、誰が何を探っているのか相手に知らせることになりかねないからね」 清雅は卓上へ一冊の手帳を置いた。「だから、人を探した」「人を?」「麗香さんのお母上が、桐生家へ入る前のことを知っている人だよ」 麗香の呼吸が止まった。 これまで調べてきたのは、すべて記録だった。 けれど、どれだけ探しても、桐生家へ嫁ぐ以前の母の姿は霧の向こうにあった。 母は確かに生きていたはずなのに。 誰かと話し、笑い、何かを好み、何かを嫌いながら暮らしていたはずなのに。 その頃の母を知る者には、まだ一人も会えていない。「……その方は、母をご存じなのですか?」「少なくとも、本人はそう言っている」 清雅の答えは慎重だった。「名は滝江。今は嫁ぎ先の姓を名乗っている。六十を少し越えたくらいだ。若い頃、ある家に奉公していたらしい」「ある家?」「そこが、まだはっきりしない」 朔の眉が動いた。「分からないのか」「分からないというより、話したがらない。手紙でも、その家の名は一度も書かなかった」 清雅は手帳を開いた。「……母は、その方のいらしたお家に?」「奉公していた滝江さんが、お母上のお側にいたらしい。正確な立場までは、まだ分からない」 麗香は胸元へ手を当てた。
それから数日、麗香の母について新たな知らせはなかった。 宮中に関わる記録を探る以上、急げばかえって相手を警戒させることになる。清雅からそう言われ、朔も調査を任せている。 その間にも、季節は待ってはくれない。 帝都を薄紅に染めていた桜はとうに盛りを過ぎ、街路を歩けば、枝々には花よりも若い葉の色が目立つようになっていた。「……何をしている」 その日、いつもより早く屋敷へ戻った朔は、庭先に妙なものを見つけた。 敷物。 茶器。 菓子。 そして、それらを縁側から庭へ運んでいる二人。「あら。兄様、お帰りなさいませ」「お帰りなさいませ、朔様」 小夜と麗香だった。「何をしていると聞いた」「お花見ですわ」「見れば分かる」 庭を見渡す。 御影家の庭にも何本か桜はあるが、そのほとんどは既に花を落としている。 ただ一本、庭の奥に植えられた遅咲きの桜だけが、葉の間に淡い花を残していた。 風が吹くたび、一枚、また一枚と花びらが散っている。 あと数日もすれば、それもすべて落ちるだろう。「今年最後のお花見です」 小夜が得意げに言った。「麗香姉様とお話ししていて、せっかくですから最後の桜を見ておこうということになりましたの」「そうか」「兄様もどうぞ」「俺は――」 断ろうとして。 麗香と目が合った。「朔様?」 麗香が不思議そうに首を傾げる。 朔は視線を逸らした。「……着替えてくる」「まあ」 小夜が笑った。「お花見をなさるのですか?」「俺の家の庭だろう」 楽しそうな妹を残し、朔は屋敷へ入った。◇ 軍服を脱ぎ、和装へ着替えて庭へ戻ると、既に茶が淹れられていた。 春
それから数日。 母の過去については清雅が引き続き調査してくれている。麗香にできることは、日々を過ごしながら待つことだけだった。「小夜さん。そこ、また同じところを間違えておりますわ」「……見なかったことにはできません?」「できません」「麗香姉様の意地悪」「昨日も同じことをおっしゃいました」 夕刻。 いつもの居間で、小夜の漢文を見ていた。 窓から差し込む春の日はすでに傾き、庭の木々を淡い金色に染めている。そろそろ朔も帰ってくる頃だろう。 小夜は渋々と答案へ向き直ったものの、三行も読まないうちに筆を置いた。「でも、不思議ですわね」「何がです?」「麗香姉様のことです」 嫌な予感がした。「その榊原様という方のお話が本当でしたら、麗香姉様って、本当はとても高貴なお生まれなのかもしれませんでしょう?」「まだ何も分かっておりません」「実はお姫様だったりして」「小夜さん」 少し強めに名を呼ぶと、小夜はくすくすと笑った。「冗談ですわ。でも、もし本当にそうでしたら、兄様も大変ですわね」「朔様が?」「知らないうちに、とんでもなく高貴な奥方を娶ってしまったことになりますもの」「まあ」 麗香も思わず笑ってしまう――が。「それに、お二人の間にお子がお生まれになったら――」「……お子?」 笑みが止まった。「はい。兄様と麗香姉様のお子です」「な、何を突然……」「夫婦なのですから、別におかしな話ではないでしょう?」「それは……そうかもしれませんけれど」 頬が急に熱くなる。 三年だけの契約から始まった婚姻に、そんな未来が入り込む余地などなかった。 けれど、今は――。「麗香姉
榊原宗一郎が暮らしているのは、帝都の中心から少し離れた、古い屋敷だった。 華美ではないが、よく手入れされた庭にも、玄関に掛けられた書にも、長く格式ある場所に仕えた人間らしい隙のなさがあった。「御影朔です」 「妻の麗香でございます」 「久世清雅です。先日は突然のお手紙を失礼いたしました」 三人を迎えたのは、白髪の男だった。 年は七十に届く頃だろうか。 背筋は真っ直ぐで、隠居した老人というより、今もどこかの官庁から帰ってきたばかりのような佇まいをしている。 案内された座敷で、榊原はまず清雅と、それから朔へ視線を向けた。 最後に麗香を見ると、その目が僅かに見開かれた。「榊原様?」 麗香が呼ぶと、老人は我に返ったように瞬きをした。「失礼。少し、驚きました」 「榊原様は、私をご存じなのですか?」 「あなたを、ではありません」 榊原はゆっくり首を振る。「しかし、よく似ておられる」 麗香の指が、膝の上で僅かに動いた。「……母に、ですか?」 「ええ」 それだけ答えて、榊原は口を閉ざした。 清雅が静かに尋ねる。「では、やはり麗香さんのお母上をご存じだったのですね」 「知っていた、と申し上げるのが正しいかは分かりません」 「どういう意味です?」 「私は、あの方と個人的に親しかったわけではありません」 榊原は朔たちを順に見た。「ただ、あの方に関する記録を扱ったことがあります」 朔の目が細くなる。「桐生家へ入る前の記録か」 「……そうです」 「なぜ、通常の記録から辿れない」 榊原はすぐには答えない。 庭のどこかで、鳥が一声鳴いた。「御影少将。あなたは、奥様が桐生家の血を引いていないと知っても、婚姻を解消なさらなかったそうですね」 「それが何か関係あるのか」
「宮中……?」 麗香が聞き返すと、清雅は頷いた。「あくまで、可能性の話です」 御影家の応接室。 机の上には、ここ数日の調査で集められた書類と、麗香の母が遺した品々が並べられている。 朔はその向こうで腕を組み、清雅の話を聞いていた。「麗香さんのお母上の記録が、普通ではない形で途切れていることは前に話しましたね」 「はい」 「その続きを調べてみたんです」 清雅が一枚の古い記録を指した。「完全に消されているわけではない。ところどころに、別の記録を参照した痕跡が残っている。ところが、その参照先が通常の華族関係の記録にはない」 「では、どこに?」 「宮内に近い記録です」 麗香は息を呑んだ。「お母様が、宮中に……?」 「そこまでは分かりません」 清雅はすぐに否定した。「女官だったという記録もありません。ただ、お母上の身元に関わる記録を扱った人間の中に、宮内に関係する者がいた可能性が高い」 朔が眉を寄せる。「単なる役所の手違いではない、と?」 「僕はそう見ている」 清雅は別の紙を重ねた。「それに、例の香合も調べてもらった」 母の遺品から見つかった、花と雲の意匠を持つ古い香合だった。「意匠そのものが皇室の紋というわけではない。だから、これだけで何かを証明することはできない」 「だが?」 「細工をした工房が問題なんだ。かつて宮中や、それにごく近い家からの注文を多く受けていたところらしい」 麗香は香合を見つめた。 母が使っていた、小さな品。 幼い頃にも何度か見た記憶がある。 それが突然、自分の知らない場所へ続く扉のように思えた。「つまり」 朔が低く言う。「麗香の母親は、偶然記録が残っていない女ではない、と」 「その可能性が高くなった」 清雅が頷く。「誰かが、彼